蓼科高原映画祭:小津が描いた原節子をテーマに開催中

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小津安二郎記念・蓼科高原映画祭は24、25日、八ヶ岳の麓・茅野市で開かれています。映画監督の小津は蓼科高原を気に入り、1954年から63年に亡くなるまで蓼科の別荘で脚本の執筆にあたりました。「東京暮色」以降の6作品すべてのシナリオは蓼科で生まれました。

映画祭は今回で19回目。昨年9月、肺炎のために95歳で亡くなった原節子の思い出とともに開催されています。

小津や原の素顔を知る人は年々少なくなっていますが、映画祭には当時を知る小津組プロデューサーの山内静夫さん、女優の司葉子さん、撮影監督だった兼松き太郎さんが参加しています。

兼松さんに話を聞きました。特ダネ逸話がポンポンを飛び出しました。兼松さんによると、原さんは気高い方で撮影中、一対一で話しをしたこともなかったそうです。小津さんは無類の酒好き。撮影現場で顔を合わせると、ぷーんとほのかにアルコールの香り。前日の酒の量がなんとなくわかったそうです。撮影の小道具はすべて本物。たとえば壁にかかった絵画も高価な本物を取り寄せた。庭の灯ろうも本物なので移動が重くて大変だった。群馬県の榛名山のワンカットの撮影にすべての撮影隊を2泊3日で連れて行くことも。「今振り返れば、ご苦労さんの思いを込めた温泉旅行だったのでしょう」。「ローアングルの小津」ともいわれるが、地面に穴を掘ってカメラを構えるというようなことはなく、せいぜい畳を上げて下からのアングルを作った。移動撮影は全く行わないが、松竹に新しい移動の機械は入った時は、灯ろうを載せてテストしたときはあった。日曜日の撮影は必ず休み。大島渚組や篠田正弘組のように残業がないので、小津組スタッフの給料は安く困ったそうです。まだまだ、楽しい逸話はたくさんありますが、話を聞きたい方は映画祭会場へ。

25日は午前11時20分から山内静夫さんの思い出・よもやま話が予定されています。

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