女優の原節子さんが亡くなりました。今年9月に肺炎のため死去、享年95歳でした。昭和の日本を代表する女優・原節子は、八ヶ岳山麓にある蓼科高原と縁があります。
原節子は映画監督・小津安二郎の作品に多数出演。小津晩年の作品シナリオは蓼科高原の別荘「無藝荘」で書かれました。脚本家の野田高梧とのコンビで「東京暮色」以降のすべての作品は蓼科生まれです。原節子は、「東京暮色」のほか「秋日和」「小早川家の秋」に出演しています。
小津と野田の功績を顕彰した碑が蓼科高原のプール平にあります。1973年11月、小津に師事した映画監督、井上和男の音頭で建立されました。碑の裏側には、寄付者の名前が刻まれています。伊丹十三、今村昌平、木下恵介、新藤兼人、中井貴一、宮川一夫、山田洋次……。その先頭に「会田昌江」の名を見つけました。原節子の本名です。
「私? 私はこれでいいの。このままよ。このままが一番いいと思うの」。映画「小早川家の秋」は原節子のこの科白で終わります。蓼科高原には「年をとらないことに決めた」(「東京物語」)原節子さんがそのままに生きています。合掌。


